奈良県十津川村イメージキャラクター「郷士くん」

十津川村

村の活性化を目指します!

 

100908082157_1

 

 

【郷士くんとは?】

「郷士ごうしくん」の名前の由来となった「十津川とつかわ郷士ごうし」とは・・・

昔は、およそ60の村を総称して十津川とつかわ郷ごうと呼ばれていました。
郷民は古来から狩猟生活が中心であったことから弓矢に優れ、神武天皇を八咫やた烏がらすとして大和まで先導し、壬申の乱(672年)では天武天皇を支援したと伝えられています。

これらの功績で無年貢措置を受け、これが郷の伝統となり、それは明治6年の地租改正まで続いたのです。
中世、郷民は一種の武力集団として、その存在は重視され、近世では文禄4年(1595年)の紀州山地村一揆や慶長19年(1614年)大坂の役に呼応した北山郷一揆を鎮圧するなど、十津川郷士の呼称が徐々に世間に知られるようになります。もちろん大坂の役にも十津川郷は徳川方として参戦しました。
幕末には200名近くの十津川郷士が交替で京都御所の守衛をしていました。文久3年(1863年)朝廷から「菱ひし十じゅう」を賜り、それが十津川郷の郷章となって、今日の村章に、そして明治22年の水害で北海道へ移住した「新十津川町」の町章にもなっています。

また、元治元年(1864年)には、孝明天皇の内勅によって郷塾「文武館」を開校、現在の県立十津川高校の前身となって、県内では最も歴史の古い高等学校となっております。
これら十津川郷士の功績を称え、末永く後世に伝えるとともに、村の活性化を目指すこと(心身再生の郷づくり)を目的に、「郷士くん」のイメージキャラクターを作成しました。

 

トレたて 十津川村
   https://tre-navi.jp/toretate/?cat=1100